塩田明彦
■プロフィール
塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は日本の映画監督、脚本家。
京都府舞鶴市出身。立教大学卒業。立教大学在学中に自主映画制作サークルであるパロディアス・ユニティーに所属し、自主映画を制作する。1983年「ファララ」がぴあフィルムフェスティバルに入選し、注目を集める。卒業後、黒沢清監督作品「神田川淫乱戦争」などに助監督として参加する。1989年には高橋洋らと同人誌「映画王」を発刊。「映画王」でのインタビューがきっかけとなり、大和屋竺と出会う。大和屋のもとで脚本を学び、1991年脚本家として独立。その後、山口貴義監督「ヤマトナデシコ」などで撮影、照明を担当する。
1996年、以前に持ち込んでいた企画が採用され、OV「露出狂の女」で念願の監督デビュー。1998年に「月光の囁き」、「どこまでもいこう」が同日公開され、劇場映画監督デビューを果たす。
■映画
黄泉がえり(2003年)
害虫(2002年)
この胸いっぱいの愛を(2005年)
どろろ(2007年)
■ドラマ
■DVD